「苦悩」から「歓喜」へ  (1)

  

        「苦悩」から「歓喜」へ  (2)
   

    「苦悩」から「歓喜」へ  (3)


    「苦悩」から「歓喜」へ (4)

「闇」の中から「光」の中へ
 お釈迦さま「修行」とは?

お釈迦さま(釈迦牟尼仏)しゃかむにぶつが悟りを開かれて

仏と成る前の姓名は、ゴータマ・シッダールタでした。

29才で出家して求道者の沙門しゃもんとなったゴータマは

修行の師を探し求めました。

当時のインドには、禅定ぜんじょう苦行の二つの修行方法

がありました。

まず、禅定とは、ヨーガの行法といい、足を組んで坐り、

精神を集中統一させる方法です。これにより雑念や妄想を

滅し、心を澄み切り、いろいろな束縛から解放され、

神通力じんつうりきといわれる不思議な能力をも得る

ことができるとされていました。

沙門ゴータマは、当時の禅定の第一人者のアララという仙人

(出家して山野で修行している宗教の達人)のもとで修行し、

短時間で師と同じ境地をえましたが、

不安や苦悩は消えませんでした。

次にウッダカという仙人のもとで心を静める無念無想の禅定の

修行をし、師と同一の境地に達しましたが、

ゴータマの人生苦は解決しませんでした。

沙門ゴータマは、もう一つの修行法の苦行を試みました。

苦行とは、サンスクリット語で「タパス」といい、

熱的物質という意味です。

苦悩の原因は、精神が肉体の束縛を受け、自由な活動が

できないことにあるから、苦行によって肉体の力を弱め、

体内に熱的物質というエネルギーを蓄積するためでした。

蓄積された熱的物質の働きによって、苦行者は神通力を得て、

死後にその霊魂を天界に持ち上げ、真の解脱げだつ)に

達することが苦行の目的でした。

沙門ゴータマは、苦行林でいろいろな種類の苦行を

納得ゆくまで一々試みましたので、六年間を要しました。

苦行の最たるものは、断食でした。

すさまじい断食であばら骨がくっきり見え、

「ゴータマは死んでしまった」といううわさが起きるほどでした。

父のシュッドーダナ(浄飯じょうぼん)王は、うわさを聞き、

心配して五人の青年を遣わして出家させ、共に修行させました。

沙門ゴータマは、六年間も苦行しても心の平安を得られないので、

苦行を止め、尼連禅河にれんぜんがわで沐浴して身を清め、

村娘のスジャータが献じた乳粥ちちがゆを受け、元気を

回復しました。その光景を見た五人の修行仲間は、

「ゴータマは堕落した」と鹿野苑ろくやおんに去りました。

一人になったゴータマは、河の近くのピッパラ樹(ゴータマがこの樹の下で悟

りを開いたので、後に菩提樹といわれる)の下で

禅定思惟し、やがて東の空に曙光がさし染める頃、

ゴータマの心の闇は消え、悟りを得て、仏陀(ぶつだ)と

なりました。

「実にダンマ(法=真理)が熱心に瞑想しつつある修行者に

顕わになる時、彼の一切の疑惑は消失する。というのは、

彼は縁起えんぎの法を知ったからである」と、

悟りの状況を後に回想されています。


トップページに戻る