「闇」の中から「光」の中へ
 お釈迦さまの心の「闇」から「光」の中へ

お釈迦さまは、正しくは「釈迦牟尼」しゃかむにといいます。

「釈迦族の聖者」という意味で、「釈尊」ともいいます。

釈迦族の国は、今はネパール国領となっていますが、

ヒマラヤ山麓にあり、東西80キロ、南北60キロの小国でした。

父は浄飯王じょうぼんのうというように、釈迦族は稲作で豊かで

文化レベルの高い国でした。母は摩耶夫人まやぶにんといい、

出産のために隣国のコーリヤ国に里帰りする途中のルンビニーの園

で産気づき、男の子をを出産します。後のお釈迦さまのご誕生です。

ところが、異常出産だったのでしょうか、母の摩耶夫人は出産後の

七日目に急死します。シッダルタと名づけられた太子は、

その後は母の妹のマハーパジャーパティに育てられて成長します。

シッダルタ太子が少年に成長したある春の日、農耕祭に出席した

ところ、農夫が掘り起こした土の中から出てきた虫を小鳥がくわえて

飛び去ろうとしたが、その小鳥を猛禽もうきんが鋭い爪の間に

挟んで大空に飛び去ったのです。

弱肉強食の光景を目の当たりにした太子は、たいへんなショックを

受けられたといいます。

何でもない食物連鎖ですが、自分が生まれると同時に生母を亡くした

太子は、繊細多感な性格だったのでしょう。

「四門出遊の物語」があります。

父の王は太子の心を楽しませるために、

カピラ城の東・南・西の門から出て遊覧させたのですが、

その度に老人・病人・死人の哀れな姿に出会い、
太子はいっそう物想いに沈みました。

最後に北の門から出た時、清らかな出家者の沙門(しゃもん)に

出会って出家への憧れの念を深めたというものです。

太子が17才の時、ヤショーダラーを妃に迎え、

29才で息子が誕生します。しかし、その子に

「妨げ」を意味する「ラーフラ」と名づけます。

その頃に太子は出家を願望し、

子は出家の妨げと思われたのでしょう。

子が生まれて間もなく、太子は老・病・死・という

やがて自分が避けて通れない人生苦を

克服できる真理を求める衝動を抑えることができず、

出家します。

出家しなければ国王となる身分の太子は、

弱肉強食の時代にあった釈迦国が

やがて隣国のコーサラ国により滅ぼされるのを

予見されていたことも出家の動機の一つだったのでしょう。

政治では自他ともに解決できない真の心の平安を

宗教に求められたのです。

出家された太子は、6年間、種々の宗教指導者のもとで

苦行の修行をした後、苦行を止めて、

尼連禅河にれんぜんがわのほとりで一人瞑想され、

東の空に曙光がさし染める頃、心の闇を破る

真理(ダルマ・法)の光を得て仏陀(覚者)となられたのです。


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